原賀さん、あなたが自転車をサボっている間に、こんなモノも出ているんですよ。オヤジさんの手のひらでSRAMのレバーがカチカチ鳴る。するとカウンター上のリアディレイラーがひとりコチコチ踊りだした。あれはおよそ一年前、自転車仲間のとらさんと二人して土佐道路のヤマネのエントランスを潜った。何時行っても見慣れた景色だが、たまにレイアウトが変わるのは、私の出席率が良くないからか、問屋の販促か、それとも店主の気まぐれだろうか。やっぱりこんなことばかりしてるんですよと、スポーツサイクルの講習会のレジメを手にその趣旨を説明してくれた。
私が自転車趣味を始めたのは2007年、このプロショップにお世話になり初めてのスポーツ自転車を手にしたことからだ。以来、自転車を介して会えば様々な話をした。最初の頃、自転車に乗って山に行くということがよく呑み込めない私に、地図を広げて当地における自転車環境が如何に素晴らしいかということについて教授を受けた。2台目のロードバイクのパーツを検討した際には、フロアに色違いや寸法違いのパーツを並べて、あーでもないこーでもないと一緒に悩んだ。やがて一丁前の口を利き出した私が、何も知らない素人をどうしてノーマルクランクなんぞに乗せたのかなどと食って掛かったこともあった。また、ヤマネのオヤジさんはメディアへの露出や投稿等も多かった。ローカル情報誌のページに毎月コラムを寄せていた時期もあった。自転車はもとより、政治・経済・世相など風刺を利かせながら軽妙に語る。その誌面で会うのも楽しみだった。つけても盛り過ぎの土佐弁がいつも可笑しかった。
その日、南国高知の空は薄日だった。野辺の送りと呼ぶにはモダンに過ぎる一台の自動車が走り去りそれを単騎の自転車が追って行った。そして彼は不帰の客となった。個人的にも、本県の自転車界にとっても大きな人を失った。シフトレバーを手にしたあの悪戯小僧の様な真っ直ぐな瞳にはもう会えない。
画像は2009年1月