新年のお福分けはあきらめた。植物園の駐車場からここまで来るのにも随所で家族に手を添えてもらってようやくたどり着いついたのだ。リハビリ訓練のおかげで平地を低速で歩けるまで回復してきた。しかし山上の札所の地形は現在の私には厳しかった。でこぼこ&段差だらけ。手すりはあることはあるが行き届いてはいない。バリアフリーやユニバーサルデザイン等のインターフェイスが拡がりをみせて久しいが、寺社施設のそれは整備圏外なのだろうか。お接待所のストーブで暖をとりながら、参戦する子ども軍団隊員kと奥方さまを見送った。出入口の木製ガラス戸に貼られた掲示にはAED設置の表示と並んでWiFiと透けた鏡文字が見えた。スマホを取り出してアクセスを試みたが接続出来なかった。お接待所の一角の作業台と思しき机上に各種のパンフレットが整然と並べられている。作業台とガラス戸とを隔てる柱には暦が画鋲で留められていた。画鋲なんて久しぶりにお目に掛かった気がする。暦はまだ12月のままだった。月毎の言葉だろうか楷書体で懴悔と記されていた。外ではもうすでにたくさんの人が新年の行事の始まりを待ち構えている。まずは住職の登壇を待つ。毎年聞いているがこの寺の和尚さんの挨拶は面白い。いささか使い古されたネタを挟みながら軽妙に人を惹きつけて話しをする。今年は坊主の握手の話ともうひとつはお正月の正という漢字はいったん止まるということなんですよという内容だった。坊主による坊主の話はスベったがその感じが三が日の清楚な雰囲気にマッチしていてよかった。大ウケ爆笑では趣向が削がれるというものだ。お接待所にて奥方さまからお父さんは先にクルマに戻っていてという段取りを受けていたので、お福分けの開始を待たずに一足先に動くことにした。上るより降りる方が数倍きつい。分かっているが何ともならない。覚束ない足取りで石段を降りる。やがて背後から参拝客の新春のどよめきが聞こえてきた。お福分け争奪戦が始まったのだ。程なくしてチリンと澄んだ音色と伴に水引の結ばれた黄銅玉が頭上を越えて私の行く手に転がり落ちていった。しゃがみ込むことはまだ難しい。いったん止まり慎重に腰をかがめてゆっくり寄りつき冒頭であきらめた初春のお福分けに与った。復路の歩みもやはり遅々として進まずだったが私のこころは一段飛ばしであった。今年は転がり落ちませんように。
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます