入院当初、私は日記をつけていた。日毎の行動、バイタル、投服薬、検査、食事等についての自分メモだった。記録を続けたら治る目安が分かるのではないかと思ったからだ。回復のインジケータが欲しかった。しかし現実はあっさりと私を打ちのめした。ほどなくして、多分にストレスから体調を崩してしまう。メインの治療どころではなくなった。やがて日数を追うといった気力が消失した。おそらく、日数を追いかけるという気持ちは先行きの見えない状態に陥ってしまったことに対する私の抵抗と焦燥だった。
日日薬という例えがある。いい得て妙だと思う。しかし間の抜けたおっさんが勘違いすると前段のようなことになる。一歩踏み込む必要があるのだ。それは数えることではなくゆだねることだった。すべきことはして後は成り行きに任せてみよう。なんとかするにはそれしかない。なんともならない身体でベッドに転がりながらそんなふうにこころ変わりした。
胸底には夏の日の後悔がある。簡単には消えない。身体の傷だって簡単には治らない。今の私では受け止めきれない。でも避けられないのなら、視点を変えてでも辛さとつきあうしかない。一方通行出口無し、ゴキブリくん人生。そういう時もあると知る。
病棟の長い廊下の隅で佇む。小窓から街の喧騒と一緒に入って来る風は秋の匂いがした。