本日は小さくいく。テーマの大きい記事はそれだけで疲れるのである。理由は下調べをしたりあるいは自分のスタンスを整理しておく必要が生じたりするからだ。ではそんなことはよしたらと云われればその通りなのだが、風呂敷は広げたい質なのでどうしようもない。でも本日は小さくいく。どれくらい小さいかといえば、手のひらサイズくらいである。分相応だろう。以前、古の宣伝文句を拝借して万年筆の記事を書いたことがある。万年筆、使い続けているのはあの滑るような書き味が好きだからだろうと考える。昔もらった一本のモンブランを大切に使っていたのだが、最近になって自分の不注意によりペン先を破損させてしまった。14kつまり58パーセント合金である。外力には弱い。文房具店に出向いて相談したら、修理費は新品買うほど高くつくかもなどと半ば脅され、渋々引き下がったのだった。元々もらいものゆえ元手は掛かっていないが。その後サラサラ系のボールペンなどで日々お茶を濁していたが、辛抱たまらなくなり、どうしても一本買おうと懲りずに再び文房具店へ向かったのだった。せっかく買うのだから、そこそこのモノをと思っていたのだが、ペリカンもモンブランも結構な値札がついていて、とてもオヤジのお小遣いといった端銭では太刀打ちできるものではなかった。もちろんそれくらい分かっていたがいざ直面すると無力感が際立つ。残念あきらめ撤収しかけたオヤジの視界に、棚のとあるPOPが飛び込んで来た。「子どもから大人まで気軽に使える万年筆」子供向けてどゆこと。これがむちゃくちゃ安い。半信半疑の気持ちもあったが、ともかく欲しさが先に立ち件の物件を早急連れ帰ったオヤジであった。後で冷静に判断すれば、たかがペン一本に壱千円也とはやはり高い買物と思う。家計においては娯楽品に分類されよう、少なくとも日用品扱いではない。よしんば公金等を使えばむこう三年非難の刑確定だ。そもそも始めにペリカン嬢やモンブラン様を見たのが間違いなのだ。と他者のせいにする。そこはこの際重要ではない。この展開ではお小遣いで買えた点を大きく評価すべきだと自分を諭す。便利なセルフコントロールである。世間一般ではこれを無駄遣いと呼ぶ。ところで、手元にやってきた万年筆カクノちゃん、これがまことによろしい。ペン先はスチール合金の小鉄ちゃんである。耐蝕性能は望めない。いずれ蝕われよう。しかし筆記感は最高。筆舌に尽くし難いとはこういうことだ。好みにもよるだろうがわたくし的には14金モンブランを上廻る。悶々とせずもっと早く買っておくべきだった。あんまり気に入ったので、先日最新型が出たと聞き、もう一本買ってしまったオヤジである。英語の授業で万年筆は fountain pen と習った。正統な語源はそうとしても沼地の地質を感じてしまう。岸辺であほなことばかりしている大人に神様はどんな斧を手にしてお出ましになるのだろうか。怖そうだが面白そう。大きくは出られない。だから小さくいくの。
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