好きなものがあると云うことは、嫌いなものがあると云うことであり、その周囲にはそれらの判別がつかないものと、判別をつけていないものがわんさとあるわけだ。判別をつけていないのに期首から既に嫌いな分類に入れるケースを一般的には喰わず嫌いと呼ぶ。食と云う字を充てるだけあってその対象が飲食物の場合は分かりやすい。個人における酒類の好みや被服の好みなどは、まず保守路線ありきなので、喰わず嫌いはきわめて真っ当に市民権を得ていると解釈出来る。
ここで前出のものほどではないにしろ、やはり好みが重要なファクターになるジャンルがある。それは読書である。全方位に延べて気にせずオールウェルカムで臨めば誠に結構だろうが現実はそうはならないし、指向性を持たない読書はただの情報収集行為であり読書とは呼べまい。それはやがて好むと好まざるにかかわらず、ジャンルや作家が選定され自身の中で自然整理が付いてゆくものなのだ。
村上春樹はずっと遠ざけてきた。ノルウェイの森が売れた頃、チラと読んだがそれきり止めた。難解だったのと何となくいけ好かない野郎だと云う印象が付いたからだった。自分で勝手に烙印を押したくせに再度取り組みを始めたのには理由がある。ノーベル文学賞候補になるような作家の作品とはいったいどのようなものなのか。私らしくミーハーで安っぽい動機ではある。
おかげさまでいけ好かない野郎にすっかりハマってしまっている。おまえはブタだろう何故ヒツジなのだと問うていたら何時の間にやら広い緑の草原に白いソファーを置いてビールを飲んでいるおっさんがひとり。何と云うことだ。早速羊の一味に捕らわれてしまった。この人にハマると他のものが読めなくなるなどと云われているらしいが噂は本当のような気がしてきた。誰か助けてくれい。
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